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ご挨拶

カウンセリングをしているといつも質問されることがあります。
「どうして?何で?カウンセラーになったの?」
「人の悩み聞くのはつかれない?」
私がカウンセラーという仕事を選んわけ。そして、この仕事をまっとうしたいと思ったきっかけをつづってみました。
私の著書「ココロノマド」より抜粋しています。
少し長いですがお付き合い下さい。

カウンセラーになったわけ

がカウンセラーになろうと思ったのは、ある女性との遭遇が原体験になっています。
高校一年生のとき、私はアメリカでサマーキャンプに参加しました。それは、英語弁論大会で東京都代表に選ばれたことへの両親からのご褒美でした。

サマーキャンプでは、子どもたちは乗馬や水上スキーといった課題を与えられ、1ヶ月でマスターするようにプログラムが組まれていました。ところが、キャンプが始まってすぐに、私は日本に帰りたくなってしまいました。水上スキーをするのが生まれて初めてで、とにかく水が怖かったのです。

「どうしよう、できないよ」

私が泣きべそをかいていると、ふっくらとした体型の女性が近寄ってきました。
私は英語で日常会話はできなかったものの、そのときの精神状態は最悪で、口をついて出てくるのは日本語ばかり。彼女も日本語を理解できないので、コミュニケーションのとりようがありません。すると突然、彼女は私の泣きマネを始めました。

おそらく私は日本語で、「怖い、何もできない」というようなことを口走っていたと思うのですが、彼女は泣きマネをしながら私の言葉をなぞるように繰り返しました。そんな彼女にびっくりして、私は泣くのを忘れてしまいました。

いま思えば、彼女が使ったのは「オウム返し」というカウンセリング・テクニックのひとつでしたが、当時は、何でこの人は私の気持ちを理解してくれるのだろう、と感動していました。

彼女は、キャンプカウンセラーという心理学の専門家でした。私のように課題がこなせずホームシックにかかったり落ち込んだりしている子どもがいると、そばにやって来てコミュニケーションをとり、やる気を起こさせ、サマーキャンプから落伍者を出さないようにするのが彼女の役目だったのです。

彼女の仕種と発した言葉を聞いて、私は冷静さを取り戻し、さらには「せっかく親が与えてくれた時間なのだから大切にしよう」と思い直すことができたのです。

彼女が発した「日本語のようなもの」は、私にとって新鮮な驚きでした。ただ私の声をなぞっただけなのに、まるでもうひとりの自分がそこにいるように感じ、温かな気持ちになって冷静さを取り戻せたのです。しかも、その後も、彼女はそばにいるだけで私に安心感を与え続けてくれました。

彼女は立派に役目を果たしました。そのサマーキャンプでは、ひとりの落伍者も出なかったのです。

日本では、カウンセラーというと、いつも部屋の中に座っていて、しかつめらしい顔をした学者タイプを想像します。カウンセリングルームも駆け込み寺のようなイメージがあります。でも、本当は相談者と同じ目線で、同じ目的に向かって活動することがカウンセラーの役目なのです。

彼女は私にとって忘れられない存在になりました。そして、それはすぐに憧れに変わりました。

「ああ、私はこの人になりたい」

カウンセラーになりたいというよりも、彼女そのものになりたいと思ったのです。

それが、私がカウンセラーという職業を初めて意識した瞬間でした。


うひとつ、私がカウンセラーを目指す決心をした理由に、父の存在があります。若い頃をブラジルで過ごした父は、祖父の会社を継ぐために帰国、そして母と結婚し、やがて私が生まれました。

しかし、まもなく日本をオイルショックが襲います。それをきっかけに会社の経営は不安定になり、父自身もうつ症状に―。やがて「統合失調症」(かつては『精神分裂病』と呼ばれていました)へと移行するのですが、本人は「僕は大丈夫だ」と主張しました。丸くむくんだ顔と、だるそうな身体の動きは家族として見ていられないものでした。

やがて、父が自分の感情をコントロールできなくなったとき、祖父が入院の手続きをとります。精神科に入院する日、暴れる父の腕に医師が注射針を刺した瞬間を、私は忘れることができません。

それから現在まで30年以上、父は入退院を繰り返しています。そのほとんどが家族が精神科医に申し立てての入院です。

日中はごろごろするばかり、夜中はずっとおきているので一緒にいる母も疲れます。それでやむなく入院させるものの、病院にいるのは長くて6ヶ月、短いときで3ヶ月。退院するとき、病院の先生は決まって「まあ大丈夫でしょう」というものの、自宅に帰ってきた父を見ると、入院したときと何ら変わりがありません。症状こそ落ち着いてはいるものの、気力のなさや気だるそうな態度、話し方はそのままです。そして、またひどくなると入院……。

私は精神科医を敵対視しているわけではありません。薬のありがたさはわかります。ひと粒の薬で、心の不安定な行動が止まるのを目の当たりにしてきたからです。でも、それも結局は西洋医学的な対症療法で、身体の機能をストップさせているだけというのが現実です。

ときおり母から、「お父さん、また薬を飲んでないみたい。どうしよう。最近、ボーッとして何か変なことを言い出してるし……」という相談を受けるたびに、私は「薬以外に治す方法はないのかな」と悩んだものです。
あの頃、もっと身近に父の話に耳を傾けてくれる人がいたなら。父が自分の体調について、自分自身で目を向けられるようなきっかけがあったなら。もっと初期に病院に行ける環境があったなら……父の症状もここまでひどくはならなかったのではないかと思うのです。

家族としての苦しみもありました。

母と私は、父を入院させる、させないで常にバトルを繰り返していました。
母は、病院では自宅でするような手厚い介護が難しいことを知り、入院させることに罪悪感を持ち続けていました。私は、母がギリギリのところまで我慢している姿を見るのはしのびなかったため、母のためにも父の治療のためにも入院を勧めました。母からは、「親を精神科に入院させるなんて、あんたは冷たい」と幾度となく罵られました。

のちに私が心理学を勉強し、介護者のストレスについて理解するようになると、まずは母に休養をとらせることが第一と思い、父の入院を必死で勤めるようになりました。介護者が本人と元気に向き合えれば、きっと明るい未来がつくれると信じて……。

やがて私は、キャンプカウンセラーの彼女になりたい、という思いから、「父や父と同じ病気で苦しんでいる人を何とかしてあげたい。家族が気軽に相談できるところもつくりたい。そのためには、カウンセリングをもっと身近なものにしないといけない」
そう考えるようになったのです。

P.S 現在はメンタルヘルスケアコンサルタントとしてカウンセラーの活動環境を開拓したり、新しいサービスメンバーの開発やコンサルタントの育成、そして、企業開拓を行っています。


現在の私のビジネスライフはこんな感じです。『→ビジネスライフ(私の一日)』

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